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VERVE NAKAJIMA

Discography

Sofia Gilberto First Song「João Canta no Japão」2024年4月12日発売
収録曲「 Garota Bossa Nova」「Tesouros do Destino」「Vovô Bossa Nova」「Boa Nova」

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■CD紹介

ジョアン・ジルベルトとアストラッド・ジルベルトの孫、ソフィア・ジルベルト(8歳)のファーストアルバムは2024年4月12日から順次主要プラットフォームでリリースされました。記念すべき第1曲はソフィアが2歳の時からお付き合いをしているバーブ・ナカジマに捧げられた「João Canta no Japão(ジョアンを日本で歌う)」です。ギターはバーブ・ナカジマ本人が演奏し、同じく山梨に住む上田励起氏がサウンドエンジニアをつとめました。「ヒデキ、私のメロディに秘めたコードを読み解いて。ピンクのサクラを癒すのは、宇宙を分かち合うこの音と二人の美しいエネルギー」と歌っています。

 

I’m VERY, VERY, VERY HAPPY that my songs were released, and I wanted to THANK all of you who fed my project, fed my dream, fed my music, and especially thank Hideki. A kiss Hideki!

(Sofia Gilberto)Video Message

Vocal:Sofia Gilberto Guitar:Verve Nakajima  Mix & Mastered by Leiki Ueda 

Verve & Lily First CD「カチューシャの唄 声とギター」2014年9月25日発売
収録曲「夜来香」「ゴンドラの唄」「蘇州夜曲」「宵待草」「この道」「カチューシャの唄」

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■CD紹介

収録されているのは、大正3年の「カチューシャの唄」から昭和19年の「夜来香」までの全6曲。日本初の流行歌「カチューシャの唄」が誕生してちょうど100年、日本の美しい曲をシンプルなアレンジで歌いたいという想いから選ばれている。美しい詩とメロディが楽器の音に埋もれないよう、「声とギター」だけのシンプルな構成。リヴァーブやエコー系のエフェクトを使わず「裸の音」をめざした。ミキシング段階でのトラックの切り貼りもやめ、1曲は最初から最後まで1回で歌いきるという、ライブレコーディングに近い録音形態。たった6曲のレコーディングに1年と2ヶ月を費やした。

 

リリィの静かな唄い方とそれに寄り添うギター、しかし聴く私はまんじりとも動けない・・・すごい殺気の様な・・神経をはずすことを許さないこんな音楽初めて聴いた・・・(ギター製作家 中村正夫)

Vocal:リリィ Guitar:バーブ  Mix & Mastered by 田辺玄  Illustrator:丸山真未 Photographer:中嶋時子  Liner Notes:瀧澤信秋

*定価¥2,000(税別) 

「カチューシャの唄 声とギター」収録曲紹介

◆夜来香 (昭和19年)作詞•作曲:黎錦光 訳詞:佐伯孝夫

 

 昭和19年(1944年)、当時の上海でトップスターとなっていた李香蘭(中国名。日本名:山口淑子)が百代唱片公司からリリースした中国語の歌謡曲。中国人の黎錦光(ペンネーム金玉谷)による作詞作曲。この頃、李香蘭は日本人であることを隠して活動しており、既に「恨不相逢未嫁时」「卖糖 歌」など、中国語のヒット曲をリリース。「夜来香」はそれらを超える大ヒットとなった。この曲は現在の中国においても愛唱されている。なお日本語歌詞は、 昭和26年(1951)の日本映画「夜来香(主演:上原謙、久慈あさみ)」のために佐伯孝夫が中国語歌詞からアレンジして書いたもの。歴史に翻弄され、数 奇な人生を辿った李香蘭(山口淑子)はこの解説を書いている平成26年7月現在94歳で静かに暮らしている。彼女は昭和20年(1945)の終戦直前、上 海の大光明大戯院でのコンサート「夜来香ラプソディー」を開催し、観衆にこう語った。この直後とらわれ、軍事裁判にかけられていく自身の運命を知っていた かのように。「夜来香の香りもやがて消える。今の内に楽しみましょう、その香りを…」。


[Youtube] 夜来香*中国語(昭和19年) by 李香蘭 

 

◆ゴンドラの唄 (大正4年)作詞:吉井勇 作曲:中山晋平

 

 島村抱月が設立した「芸術座」が上演したツルネーゲフ原作「その前夜」の劇中歌。初演は大正4年(1915)4月26日。歌ったのは劇団のスター女優、松井須磨子であった。歌詞はアンデルセン作、森鴎外訳「即興詩人」の中の一節(朱の脣に觸れよ、誰か汝の明日猶在るを知らん。戀せよ、汝の心の猶少く、汝の血の猶熱き間に…)からとったものであると、作詞した吉井勇は語っている。歌詞中の「熱き血潮」は、彼と親交のあった与謝野晶子の「みだれ髪」で使われていた。主人公のロシア人女性エレーナは恋人インサーロフとヨーロッパ旅行に出る。二人は旅先でインサーロフの祖国ブルガリアで革命が起こった事を知り、ヴェネチアで船待ちをする。この時、二人はゴンドラのこぎ手の少年が歌う「ゴンドラの唄」をホテルの窓から聞き、エレーナも歌い出す。

 「ああ、あたし歌が唄ひたくなつた。あたし何だか今夜は一晩さわいでくらしたいやうな氣がするのですよ。ああまた船で子供がうたつてゐますよ。あの歌、何とか言ふんだわねえ。♪いのち短し、戀せよ、少女、朱き唇 褪せぬま間に…」。

 

[Youtube] ゴンドラの唄 by 松井須磨子(大正4年)

 

◆蘇州夜曲(昭和15年)作詞:西條八十 作曲:服部良一

 

  昭和15年(1940)に公開された当時20歳の李香蘭主演の映画「支那の夜」の劇中歌として発表された。歌は映画の中で2回歌われている、1回目は桂蘭 (李香蘭)と長谷(長谷川一夫)が結婚式の日に蘇州に遊び、肩を並べて寒山寺の庭園を歩くシーンで朗々と歌われる。「神様、いつまでも、いつまでもこの幸 福が続きますように。♪君がみ胸に 抱かれて聞くは 夢の船唄 鳥の歌…(ここでは1番と3番のみ)」、 続くシーンで長谷は佐藤春夫の詩「水辺月夜の歌」の一節を詠む。「もののあはれを知るゆゑに 水のひかりぞなげかるる。 身をうたかたとおもふとも うたかたならじわが思ひ」。この佐藤の詩が後に西條八十によって2番の歌詞へと姿を変える。長谷の命が奪われたという知らせを聞いた桂蘭は、悲嘆にくれて 思い出の蘇州を訪れる。入水自殺を遂げようとする直前で、嘆くように歌うのが2番である。「♪花を浮かべて流れる水の 明日の行方はしらねども…」。

 

[Youtube] 蘇州夜曲(1、3番) by 李香蘭 映画「 支那の夜(昭和15年)」より

[Youtube] 蘇州夜曲 (2番) by 李香蘭 映画「 支那の夜(昭和15年)」より

 

◆宵待草(大正6年) 作詞:竹久夢二 作曲:多忠亮

 

 明治45年(1912)、27歳の竹久夢二はこの歌の元になる詩を雑誌『少女』に発表、翌年大正2年(1913)に3行の詩にまとめ、処女出版詩集『どんたく』に掲載。この詩に感動したバイオリン奏者、多 忠亮(おおの ただすけ)が曲をつけ、大正6年(1917)、第2回「芸術座音楽会」で初演された。夢二と芸術座との関わりは深く、「ゴンドラの唄」などの楽譜の表紙画を描いている。翌大正7年(1918)には「宵待草」も同じセノオ音楽出版社より出版され、たちまち全国で大人気となった。昭和3年(1928)には藤原義江のテノールによるレコードも発売されている。詩は夢二の儚き夏の恋を詠ったものだと言われており、相手の女性は当時19歳の長谷川タカ。明治43年(1910)、二人は銚子の海鹿島海岸で出会い、逢瀬を重ね、夏を過ごした。翌年の夏、夢二はタカを想い再び海鹿島を訪れたが、彼女はすでに音楽家と婚約しており、鹿児島に去る身だった。夢二はこれを知った時のやるせなさを詠う、「まてど暮らせど 来ぬひとを 宵待草のやるせなさ…」。


[Youtube] 宵待草 by 藤原義江 (昭和3年)

 

◆この道(昭和2年)作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰

 

 大正14年(1925)40歳の夏、北原白秋は樺太旅行の帰りに北海道を旅行する。「あれはやはり『思ひ出』の系統に旅中から得た北海道風景を織つたものである…」と本人が語るこの作品は、大正15年(1926)雑誌『赤い鳥』で発表される。昭和2年(1927)、山田耕筰がこの詩に曲を付け「山田耕筰童謡百曲集」で発表、自身のピアノ伴奏で藤原義江とレコードも吹き込んだ。白秋のこの曲に対する愛情、自身の曲に込めた想いを耕筰はこう書いている。「これは《からたちの花》の妹です。《からたちの花》にもました美しい綾衣を織り与えて下さい。畏友白秋氏はこうした言葉を添えて、「この道」一篇の詩を私に 寄せた。世の誰よりも母に愛され、世の誰よりも母に慈しまれた私は、世の誰にもまして母を思う心切である。「この道」を手にした私は、いとけなかりし日を 思い、あたたかい母の手にひかれて、そぞろあるきした道を偲び、ありし日のあわい追憶に耽らずにはおられなかった。私は亡き母の愛に浸りながら、静かに 「この道」を唄いいでた。どうか母を慕う心をつれびきとして、この小さい歌を唄ってください」。


[Youtube] この道 by 藤原義江(昭和3年)

 

◆カチューシャの唄(大正3年)作詞:島村抱月•相馬御風 作曲:中山晋平

 

 「芸術座」が全国公演したトルストイ原作「復活」の劇中歌。日本初の流行歌と言われている。初演は大正3年(1914)3月26日。 歌ったのは劇団のスター女優、当時28歳の松井須磨子であった。翌年、録音はレコードとして発売され大ヒットとなる。カチューシャは髪留めのことではな く、主人公の女性の少女時代の呼び名。復活祭の夜、カチューシャは、もうひとりの主役で、翌日戦地に立つネフリュドフの部屋に呼び出される。復活祭の夜は 歌ってお祈りをすると願いがかなうといわれており、二人も一緒にいられるよう願をかける。


 ネフリュドフ:お前も一つ歌をお唄ひ。そしてお祈りをして願をかけやうよ、ね。

 カチューシャ:でも、私、できないですもの。それに叔母さまのお目をさますと大変ですわ。

 ネフリュドフ:大丈夫、低い声で歌ったらい々ぢゃないか。お前の名を入れた歌をお歌ひ。

 カチューシャ:さうねぇ、ぢゃ歌ひませうか?…

       (ちょつと考へて軽く手を拍ち)♪カチューシャかはいや 別れのつらさ…。

 

[Youtube] カチューシャの唄 by 松井須磨子(大正4年) 

 

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